記事一覧

「国家再興」の具体的着手点は眼前にある!

平成29年6月27日(火)「戦後体制からの脱却」とか「日本を取り戻す」とかのスローガンは、安倍内閣になってよく語られる。このスローガンは、即ち、「我が国家の再興」を目指すものである。では、スローガンではなく、その「実践論」、さらにその実践の「着手点」、は語られているのか。残念ながら、それは、語られるどころか、意識すらされていない、のではないかと思える。考えてもみられよ、「戦後からの脱却」や「日本を取り...

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戦前と戦後の連続性を甦らす、門脇朝秀翁と戦中派

平成29年6月26日(月)先の通信では、六月二十三日の糸満市摩文仁の丘における沖縄戦戦没者慰霊祭を観て、心に湧き上がった思いを書かせていただいた。それは、今、我が国が「甦らせるべき慰霊」とは「国家という悠久の大義と結びついた慰霊」であるということだ。そうすることによって、国の戦いのなかで命を落とした同胞と今生きて、彼らを思う我らは、日本という悠久の大義のなかで同胞として一体となる。その際、先の通信で、...

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英霊への真の慰霊・屈辱的和平の正体

平成29年6月24日(土)六月二十三日は、沖縄の第三十二軍司令官牛島満中将が、以後、残存する部隊は生き残った者のなかの最上級者を指揮官として最後までゲリラ戦を展開して悠久の大義に生きよ、との命令を打電し、摩文仁の丘の南端の洞窟で自決した。それ以降、残存部隊は司令官の命令通り、各々の箇所で、ゲリラ戦を展開して八月十五日が過ぎても戦い続け、第三十二連隊の連隊長北郷大佐らがアメリカ軍に降伏したのは、八月二十...

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日本を守るために落とした命

平成29年6月21日(水)六月十七日02:25、伊豆町石廊崎南東約20キロの海上で、フィリピン船籍のコンテナ船(2万9060トン)とアメリカ第七艦隊のイージス艦フィッツジェラルド(8315トン)が衝突し、イージス艦の艦長ら三名が負傷し、七名が行方不明になった。しかし、捜索の結果、イージス艦の船首艦底は甚だしく損傷しており行方不明になった七人は、浸水した居室内から脱出できずに居室内で死亡していた。死亡し...

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歴史文献としての「日本国憲法」と「九条」

平成29年6月17日(土)我が国の朝野は、「日本国憲法」を「憲法」として、おおまじめに読んきた。もちろん、憲法=法規だと思っているので、それに縛られている。しかし、「日本国憲法」をこれを「書いた者」の意図を伺うことができる「歴史的文献」として読み込めば、そこに、昭和二十年九月二日の降伏文書調印から我が国を占領統治した連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーとGHQ(連合国総司令部)のスタッフ達が大東亜戦争...

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シビリアン・コントロールと拉致被害者奪還

平成29年6月12日(月)六月十日、午後三時より、日本会議世田谷・目黒支部春期時事講演会において、講師として、「今こそ拉致被害者を奪還すべし」と題した講演をさせていただいた。まことに、「今こそ」!拉致被害者を「奪還」!せねばならない。そこで、「シビリアンコントロールと拉致被害者奪還」について話の概要を記したい。即ち、拉致被害者奪還は、内閣総理大臣の「シビリアンコントロール発動」によって達成されねばなら...

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猪苗代から飯舘村そして東京

平成29年6月5日(月)六月二日に大阪から福島空港に飛び、そこから車で北磐梯を経て猪苗代町に入り、その夕方、猪苗代湖と右手に磐梯山を一望するホテルで、田母神俊雄元航空幕僚長とともに、表題に「支那討つべし」と掲げる演説会の弁士として語り、次に、夜は、参加者と懇親会で賑やかに国家を語り合い、翌日の三日は、ホテルのバイキング式朝食時に、田母神閣下や宿泊の演説会参加者らと一時間ほど昨夜の続きで語り合い、別れて...

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