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「日本人奥山篤信の体験報告の書「キリスト教というカルト」を一読されたい」


平成30年4月10日(火)

大学紛争時代の京都で、
それぞれ吉田山の麓と大文字山の麓という指呼の間で同時期に学生生活をしていて、
お互いに五十歳を過ぎてから、
初めて相まみえた友人が奥山篤信さんだ。

その彼が、
六十歳を過ぎてから上智大学に入学し、
大学院の神学研究科でカトリック神学を学んで神学修士号を取得して卒業し、
さらに、一年間、
パリのカトリック大学に留学して「本場のカトリック」に取り組み、
何があったのか、完全な無神論者になって帰国した。
そして、この度、

「キリスト教というカルト 信者になれない、これだけの理由」 春吉書房

という本を出版して、
四月八日、東京で彼の古希と出版の祝いが行われた。
私も出席して、久しぶりに彼と飲んで、出席者各位と懇談した。

彼は、無神論者になったと盛んに言っているが、
毎年、親と先祖の墓参りは欠かさずしているし、
神社仏閣にも訪れる。
そして、日本人は
教育勅語
に帰ればいいんだと言っている。
これ、日本人そのものではないか。

つまり、彼にとって、
余人がなかなかなし得ない、
類い希な還暦を過ぎてからの大学・大学院入学とパリ留学、
即ち、上智大学大学院修士修了とパリカトリック大学留学の成果は、
教育勅語なのだ!
ここにおいて、私は、
戦後の自虐史観による歴史を奪われた日本人の欧米文化体験ではない、
歴史を奪われていない日本人の
欧米キリスト教との格闘体験があるのだと感じた。
そして、
二人の人物を思い浮かべた。
一人は、「アーロン収容所」を書いた会田雄次
もう一人は、「代表的日本人」を英文で書いた内村鑑三である。

会田雄次は、ビルマ戦線でイギリス軍の捕虜となり、二年余の間、
イギリス軍の捕虜収容所であるビルマのアーロン収容所で捕虜生活を強いられた。
そして、イギリス人の正体を見届けた。
トルストイは、
「監獄に入ったことのない者は、その国がどのような国家か、知ってはいない」と書いた。昭和二十年から三十一年前の十一年間、
ソビエトによってシベリア抑留生活をさせられた
関東軍参謀長の陸軍中将秦彦三郎は、
臨終近い日に、内村剛介に次のように語った。
「私は生涯ロシア・サービスで一貫し、
ソ連にも長く駐在し、ソ連軍の演習にも参加した。
でも、何一つわかっちゃいなかった。
敗戦後ソ連の収容所暮らしをするまでは・・・」
会田雄次は、
まさにイギリスの監獄・収容所にいてイギリスを見つめた。
そして、次のように書いた(同書、まえがき)。
「実際に体験した二年間の捕虜生活で、イギリス人の正体を垣間見た。
いや確かに見届けたはずだ。
それは、恐ろし怪物であった。
この怪物が、
ほとんどのアジア人を何百年にわたって支配してきた。
そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ・・・
その体験を生の姿で多くの方々に伝えるこは、当然の義務であるように思った。」

奥山篤信さんも、
監獄に入ったわけではないが、
自ら強いた希有の体験を、
生の姿で多くの方々に伝えようと思い
「キリスト教というカルト」
を書いたのではいないか。

次に、奥山篤信さんのこの書に接して、何故、内村鑑三を思ったのか。
それは、内村鑑三が
自らの歴史を誇り高く堅持する者としてキリスト教に接した人物だからである。
彼の「代表的日本人」のドイツ語版の後記を次に記す。
「私は、サムライの子のなかでもっとも卑小なる者、
イエスキリストに従う者のなかでもっとも卑小なる者であります。
いずれの関係においても、もっとも卑小なる者でありますが、
それにもかかわらず、
現在の自分のうちにあるサムライに由来するものを、
無視したり等閑に付したりすることはできません。
まさに一人のサムライの子として、
私にふさわしい精神は自尊と独立であり、
狡猾な駆け引き、表裏のある不誠実は憎悪すべきものであります。
キリスト者の律法に比し、
勝るとも劣らぬサムライの定めでは、
『金銭に対する執着は諸悪の根源なり』であります。
そのため、近代のキリスト教が公言してはばからない
もう一つの律法『金銭は力なり』に対して、
サムライの子であるからには毅然として異議を唱えるのは、
私の当然の務めであります。」

以上、奥山篤信さんの著書
「キリスト教というカルト」
に接して、私が、
会田雄次と内村鑑三を思った理由は分かって頂けたと思う。
この書が、
日本人、即ち、サムライの子として、
ヨーロッパのキリスト教・カトリックと接した
奥山篤信さんの体験を「生の姿で」伝えるものだからである。
友人として、諸兄姉にご一読を願う。










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