FC2ブログ

記事一覧

二・二六事件の朝に思う

平成30年2月26日(月)

大阪は、昨夕刻から、無風で細かい雨が降り続いて朝を迎え、
二月二十六日となった。
このような無風の時、気温が、もっと低ければ、雪が積もっていただろう。
今朝起き、八十二年前の東京は、
このような気候の中で雪の226事件を迎えたのかと思った。

昭和十一年二月二十五日の夜から二十六日の朝にかけて、
帝都東京には、雪が積もった。
明治四十二年生まれの母は、
二十五日の夕方から丸の内の劇場で催された劇を鑑賞して、
終了後、劇場の外に出ると、
既に地面には雪が積もり、都電が動けなくなって路上に止まっていた。
母は仕方なく、赤坂の豊川稲荷の近くの家に雪を踏みながら歩いて戻った。
そして、翌二十六日の朝、
ラジオのスイッチを入れると、
「付近の人は、箪笥の影に隠れたりして流れ弾を避けるように」
とアナウンサーが繰り返し放送していた。
近くの大蔵大臣高橋是清邸を、
歩三つまり歩兵第三連隊の中橋中尉が
未明、百名の兵を率いて襲撃し、高橋是清を射殺していた。

これが、私が、母から聞いていた226事件の情況だ。
それ故、本日の朝、226事件のことを思い、
母から聞いた情景を思い出した。
この226事件といい、
新暦安政七年三月二十四日の井伊直弼の首を取った桜田門外の変、
また、元禄の新暦一月三十日の吉良上野介の首を取った赤穂浪士の討ち入りも雪の中だ。

226事件は、
天皇を中心とした近代民主国家への復元を目指した
陸軍皇道派の大尉を中心とする青年将校達が、約一千五百名の下士官兵を率い、
昭和維新と尊皇斬奸、を掲げ、
昭和十一年二月二十六日未明、行動を開始し、
彼らが、「君側の奸とみなした重臣」を殺害し報道機関を襲撃した事件である。
襲撃対象となった重臣は、
岡田啓介総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斉藤實内務大臣、
高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顯前内務大臣
このうち、殺害されたのは斉藤内大臣、高橋大蔵大臣、渡辺教育総監である。

鈴木侍従長は、一時心肺停止の状態になったが蘇生し、
九年後に、終戦時の総理大臣の役目を果たす。
三発の銃弾を身に受けて昏倒した鈴木侍従長に、
とどめを刺そうと軍刀を抜いて近寄った指揮官の安藤輝三大尉に、
鈴木の妻が、
老人ですからとどめは刺さないでください、
とどめが必要なら私がします、
と言うと、
安藤大尉が軍刀を納め、部下とともに鈴木に敬礼して立ち去った。
即死した斉藤内大臣の妻は、
兵が斉藤に向けた銃口に手を当てて射撃を防ごうとして手を打ち抜かれた。
渡辺教育総監は、
とっさに娘の和子(昭和二年生)を家具の奥に隠し、
陸軍大将らしく拳銃で応戦したが機関銃の掃射を受けて娘の前で即死した。
父の機関銃弾を受けて肉が飛び散る最後を目の当たりにした娘の渡辺和子は、
カトリックの修道女としてノートルダム清心学園理事長となり
一昨年の十二月に亡くなった(2016年12月30日)。
私は、彼女の書いた「置かれたところで咲きなさい」という著書を読んだ。

226事件を起こした将校は、それぞれ、
陸軍歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊に属した大尉と中尉だ。
この帝都の第一師団の中核をなす各連隊から226の将校が輩出された理由は何か。
その出発点ともいうべき理由を、日露戦争にあると突き止め、
鈴木壮一氏は次のように記した(同氏著「日露戦争と日本人」)。
これを参考にして頂きたく紹介する。
第一師団は、日露戦争において乃木希典第三軍の中核として戦ったが、
常に総司令部から理不尽な「督戦命令」を受けてきた。
そして、鈴木氏は次のように記されている。

「金州南山、旅順要塞の松樹山・二〇三高地攻防戦、奉天会戦と、
休む間もなく、連続して最大激戦地へ投入され、
最も激しく消耗した第一師団(東京)の
第一線を担う青年将校の間では、
この後も、陸軍統帥部に対する根深い不信が語り継がれた。
そして、時が流れて昭和初期。
内外情勢が深刻化すると、
この伏流水は二・二六事件となって、一気に奔出するのである。」

彼ら青年将校達に共通するものは、「政党政治への激しい憎悪」である。
彼らは、襲撃後、陸軍首脳を通じて、天皇陛下に昭和維新を願いでるも、
天皇陛下は拒絶された。
そして、政府は、彼らを「反乱軍」とし、
戒厳令を布告して討伐を決定した上で、投降を呼びかける。
将校達は、一部は自決するが、残りは下士官兵を原隊に帰し、投降した。
そして、裁判を経て銃殺刑に処せられた。

以上が、226事件の概要である。
彼ら反乱軍として自決し銃殺刑に処された青年将校達は、
三島由紀夫の作品と行動に大きな影響を与えた。
彼らは、我が国の歴史、青史に刻まれて、忘れられることはない。
現在の我が国の「政党政治」を観ておれば、
彼ら青年将校達のもった「政党政治への激しい憎悪」が理解できる。
それは、尊皇愛国の至情から生まれたものである。







スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント